仕事のレベルが上がっている現代において「自分で考える力」は本当に必要なのか?

この記事は約3分で読めます。

多くの会社が業務の標準化やマニュアル化を推し進めようとしています。

しかしながら、このような業務の標準化やマニュアル化に対して否定的な見方をする人は少なくありません。

特に、会社の中の上の世代の人たちほどそうした傾向にあるような印象を受けます。


「最近の若者は言われたことしかできない」

「マニュアルに頼ってばかりで自分で考える力が失われている」

マニュアルに否定的な立場を示す人たちが危惧しているのは、このようにマニュアルに頼りすぎることで自分で考える力が失われるのではないかといったものではないでしょうか。


しかしながら、仕事のレベルが上がっている現代において、彼らが言う「自分で考える力」というものが本当に必要なのでしょうか?

昔に比べれば仕事のレベルは上がっている

これは仕事に限らない話だと思うのですが、現代と昔を比べれば現代のほうがレベルが上がっているのが世の常だと思っています。

スポーツ競技などで過去の記録が次々と塗り替えられている事実からもそれは明らかでしょう。

テクノロジーの進歩により、これまで個人の感覚に頼るところが大きかった領域に関してもテクノロジーを活用することで科学的な分析を行うことができるようになりました。

このことがあらゆる領域の技術革新を生んでいます。


仕事も同じです。

ビジネスに使われるツールも格段に進歩し、特にインターネットの発展により得られる情報量が飛躍的に増加した現代において、仕事の生産性は劇的に向上しているはずです。

仕事のレベルは昔に比べれば間違いなく上がっていることでしょう。

「自分で考える力」は本当に必要なのか?

これは、個人が考える余地が減ってきていると捉えることもできます。

インターネットもなく、利便性の高いビジネスツールが揃っていない時代であれば、個人の勘や経験に頼った考えも通用しやすかったのかもしれません。


しかしながら、これほどまでにテクノロジーが発達して膨大な情報が手に入るようになった現代において、はたして自分で考えるという行為自体にそこまで大きな意義があるのだろうか、そう感じてしまうのです。

昔に比べれば、大抵の情報の価値は相対的に下がっているはずです。

ですから、それならばそのような既知の情報はさっさと標準化(マニュアル化)してしまい、もっと価値の高い作業に個人の時間を当てるほうが有益なことのように思えるのです。

自分で考える行為が過大評価されている

「自分で考える力」が不要なものだとは決して思いません。

むしろ、ある程度の情報であれば簡単に手に入る時代だからこそ、より付加価値の高い情報を生み出せる人材がこれまで以上に求められるようになるはずです。

そうした人材となるためには、自分で考える力や思考力を磨いていかなければなりません。


私が言いたいことは、自分で考える行為を過大評価していないかということです。

最新のテクノロジーや情報を活用し、そこから着想を得ることも現代においては特に重要なスキルです。

また、業務のマニュアル化などにしても、自分で考える力が失われるといった批判的な意見も耳にしますが、それを使う側はともかく、作る側には業務の全体像を俯瞰的に捉える能力が要求されます。

ですから、このようなマニュアル作りは俯瞰的な思考力を養うのに大いに役立つはずで、むしろ個人の考える力は向上するというのが私の考えです。

昔の基準で現代の仕事を捉えるべきではない

昔の仕事の感覚で現代の仕事を捉えるべきではありません。

自分で考えることにしても、「最近の若者は考える力がない」のではなく、現代の効率を重視する社会のもとでは「自分で考える」というやり方がそぐわないというのが実際のところかと思います。


上の世代の人たちが言う「自分で考える」程度のことは、今の若い人たちでもできると思います。

仕事環境もまだ今ほどは整備されておらず、業務効率も重視されていなかった昔はそのやり方でも通用した、ただそれだけのことかと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました