会社の仕事の多くはチームプレーで成り立っています。
ですが、私はこのチームという言葉が苦手です。
協調性やチームプレーが重視される会社の中で生きていく上で、これは致命的なことかもしれません。
私の現在の勤務先もこのチームでの活動を非常に重視しており、それが私が今の会社に向いていないと考える理由のひとつです。
ひとつだけ弁明させてもらいたいのは、私はチームプレーそのものを否定しているわけではないということです。
ただ、このチームプレーという言葉を盾にして、自分で物事を判断しなかったり責任逃れをする人たちがいるのもまた事実です。
チームプレーという言葉が都合のよい言い訳に聞こえてしまうことも多く、それゆえに私はこの言葉に抵抗感を持っているのです。
チームプレーという言葉は都合のよい言い訳
我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。
出典:攻殻機動隊 S.A.C. episode 5
有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。
上記の台詞はTVアニメ「攻殻機動隊」の中で登場する台詞で、同アニメの名言・名台詞として知られているそうですが、 私もまさしくこの通りだと思うことはあります。
「チームで考える」「チームで決断する」というスローガンのもとに、みんなで取り組むことそれ自体が目的だと思っているのではないかと感じる場面に遭遇することが多々あります。
人によっては、チームワークという言葉を仕事を誰かに押し付けるため、あるいは責任を転嫁するために使ったりもします。
そんな言い訳的なチームプレーの使い方を目にする機会が最近多い印象です。
「皆で決める」ことの問題点
このようなチームプレー、「皆で決める」という風土の側面がもっとも強く表れるのが会議の場だと思います。
ぞろぞろ大勢でやってきて、そのほとんどがただ話を聞いているだけ。
会議は意思決定の場というのが私の認識ですが、おおよそその目的に関与していない人たちが大半を占めるという会議も数多く存在します。
会議には情報共有の場という側面もあります。
ですが、それは会議の本質ではないはずです。
情報共有が目的であれば、必要な情報を関係者にメールで連絡したり、あるいはクラウド上にデータを置くなど、もっとほかに効率の良い手段はいくらでもあるはずです。
そして、私が何より問題だと感じるのが、このような「皆で決める」という風土で育ってきたがために物事の判断力や決断力が全く備わっていない人たちがいるという事実です。
自分で物事を判断してこなかった人たち
先日、こんな話を耳にしました。
社内のとある係長が課長から仕事の態度を叱責されたときに、このような発言をしたそうです。
「今まで皆で決めた通りにやってきた。自分で考えろと言われてもできない。」
この話を聞いたときは結構衝撃でした。
こんなことを口にすることもそうですし、何より私の職場ではこんなレベルの人が係長くらいにまではなれてしまうという事実にです。
おそらく、この人は会社の「皆で考える」という風土に頼って、今までろくに自分で物事を判断してこなかったのでしょう。
それでも、会社という組織に守られてこの歳まで仕事を続けることができ、かつこの職位にまで達することができた。
まさに、チームプレーさまさまだと思います。
チームプレーに助けられてきた人たちがリーダーになることの恐ろしさ
ただ、その人はそれで救われているかもしれませんが、その人の部下となる人たちは救われません。
日本の多くの会社は年功序列で、勤続年数さえ長ければ自然と昇進していくものです。
そして、上に行けば行くほど決断や判断を求められる機会は増えてくるはずです。
ですが、その立場に決断力や判断力が伴っているとは限らず、そうした上司の下についた部下は悲劇としか言いようがありません。
先ほどの例ほどひどくはないにしても、上司の決断力に不満を持つことは決して少なくありません。
意思決定をしない(できない)上司は本当に多いのです。
彼らを見れば見るほどチームプレーという言葉が嫌いになっていきます。
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