上の人たちに対して厳しい見方をするのは当然のことだと思う

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日本の会社には忖度(ゴマすり)がはこびっています。

自分より目下の人間には対しては当たりが強いが、目上の人間にはペコペコとごまをする、会社にはそんな人がごろごろいます。

それが会社でうまく生き抜いていく術なのでしょう。


ですが、私はこのような価値観とは真逆の考えを持っています。

上の人たちほど仕事に求められるレベルは高いはずです。

ですから、その分厳しい視線が向けられるのはある意味当然のことだと思ってしまい、私はむしろ目上の人たちにほどきつくあたってしまうのです。

日本の会社は下に厳しく上に甘い

日本は忖度の国と言っても過言ではありません。

本来、忖度とは「他人の心情を推し量ること」「推し量って相手に配慮すること」といった相手のことを思いやる気持ちを表す言葉であり、決して悪いイメージをもつ言葉ではなかったはずです。

ですが、政治問題絡みでこの言葉が使われるようになり、今や「ごますり」と同じネガティブなイメージがつきまとう言葉として定着してしまいました。


そして、日本の会社もこの忖度(ゴマすり)がはこびっています。

自分より目下の人間には当たりが強いが、目上の人間にはペコペコとごまをする、会社にはそんな人間がごろごろいます

それが会社でうまく生き抜いていく術なのでしょう。


結果として、若い人ほど厳しい負担を強いられることになります。

日本の会社は下に厳しく上に甘い環境と言えるかもしれません。

上に立つ人たちほど求められるレベルは高くなる

ですが、私はこの価値観とは真逆の考えを持っています。

私は、むしろ目上の人たちにほど厳しくあたってしまいます。

それは、上の人たちほど仕事に求められるレベルも高いものであるからです。


大抵の会社には従業員を序列化する等級制度があるはずです。

この等級制度において、それぞれの等級で求められる社員の資格要件が規定されていると思いますが、果たして会社は本当に社員をその等級に応じて適切に評価しているのでしょうか。


等級や立場が違えば求められる仕事の質や水準も違ってくるはずなのです。

等級や立場が低い人たちよりもそれが高い人たちのほうが、高い質の仕事が求められるのは当然のことです。

そして、私は上の人たちがその高い要求に応えられているとはとても思えないのです。

上の立場の人たちは要求に応えられない

そもそも、上の立場と下の立場では仕事の質も違ってきます。

立場が上がっていくとともに、仕事の質は単純労働から頭脳労働に変わっていきます。


現実的な話をさせてもらえば、頭脳労働は誰にでもできる仕事というわけではなく、また個人の能力の差も顕著に表れてしまうものです。

単純労働、たとえば小学生がやるような計算問題をひたすら繰り返すといったような作業であれば、早い人と遅い人でもせいぜい3~4割くらいの差しか生まれないと思います。

しかしながら、これが大学入試レベルの難問になってくると、個人によって2倍、3倍、下手したらそれ以上の成果の差が生まれるかもしれません。


年功序列の日本企業で、このような高度な頭脳労働ができる人材がそれほど多く育つとは私には思えません。

また、頭脳労働が求められる上の立場の仕事ほど個人の能力の差がはっきりと表れてしまうため、ほかの部署の上の人たちに比べて自部門の上司が物足りなく感じてしまうといったことも起こりやすいのです。

上の人たちに対して厳しい見方をするのは当然のことだと思う

上の階層に行けば行くほど、仕事に求められるレベルは高くなっていきます。

また、これまで以上に個人の資質も問われるようになります。

ですから、上の人たちほど厳しい視線が向けられるのは当然のことだろうと私は感じてしまいます。


自分のことを棚に上げて相手のことを評価するというのは、決して褒められた行為ではないかもしれません。

しかしながら、人間を評価するにあたっても公正さを望む私の気持ちは決して揺るがないものです。

公正な評価とは、個人の感覚などではなく明確な基準に対して行われるべきものであるはずです。

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