言い切ることの難しさとそれでも言い切ることを追求する理由

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ビジネスでは結論を述べることがとても重視されています。

ビジネスシーンにおいては、結論から先に話す話し方は特に好まれます。

また、仕事を先の段階に進めていくために判断を強いられることもあるでしょう。

たとえ、それがとても判断しにくい内容であったとしても、言い切らなければならないことも多いのです。


しかしながら、このような「強く言い切る」というやり方は決して万人に受け入れられるものではありません。

むしろ、周りから顰蹙や反感を買うことのほうが多いでしょう。


ですが、それでも私は言い切ることを追求していきます。

それが自分自身の成長にもつながるはずだと考えているからです。

言い切ることの難しさ

何か判断を強いられたときに、できることなら「ケースバイケースですが~」だとか「一般的には~です」といった回答に留めたいものです。

良くも悪くも逃げ道を作っておきたいのです。

「ケースバイケース」や「一般的には」といった言葉をつけておくことで、どちらとも取れる、どちらも正解であるし不正解であるという状況を作れるわけです。


法律にしてもそのようなところがあります。

本来、法律は曖昧な部分を徹底的に排除し、白か黒かをはっきりさせるものでなければありません。

しかしながら、実際には解釈の入りこむ余地が残されていたりします。


仮にこうしたルールの曖昧な部分、解釈の入りこむ余地を完全に排除してしまうと、もしもそのルールに抜け穴があったときに徹底的にそこをつかれてしまうことにもなりかねません。

世の中のちょっとした変化に対応しきれず、本来許すべきものを許さない、または許すべきでないものを許してしまうといったことが起こりかねません。


ですから、ある程度の曖昧さを残しておくことは、ルールの現実的な運用という面ではむしろ効果的とも言えるのです。

ケースバイケースの物事に対してどれだけ高い確度の情報を提供できるか

物事に対して、そんな簡単に白黒つけることはできません。

ビジネスに関する多くの話がケースバイケースなのは当たり前です。

そんなこと私だってわかっています。


ですが、ケースバイケースという言葉で物事を片づけていては何も生まれません。

ケースバイケースの物事に対してどれだけ確度の高い情報を提供できるか、判断ができるのかがその人の能力の高さであると考えています。


そして、そのような能力を高めていくには、あえて強く言い切ることがその非常に有効な手段になりうると考えています。

言い切ることを追求する理由

曖昧な回答には、同じく曖昧な返答しか返ってきません。

言葉を濁している限り、いつまで経っても本質的な部分が見えてこないのです。

はっきりと言い切ることで、その真偽や是非が明らかになりやすくなります

仮にその回答が間違っていたとすれば、すぐに指摘を受けることになるからです。


また、言い切ってしまうという責任感から、より詳しく調べてみようという気持ちも生まれます

「これこれはこうである」と言い切ってしまうと、本当にそう言い切ってしまってもいいものだろうかと後から不安になってくるものです。

まして、相手が目上の立場の人たち、あるいは重要な場での判断であればなおさらです。

その不安を拭うために自分自身でさらに詳しく調べ直して、それによって知見が一層深まるということはよくあります。


ですから、重要な場でこそ強く言い切るという気持ちで臨むことが大切でしょう。

それが自分自身の成長にもつながるはずです。

私が言い切ることを追求するのはそのためです。

私は、あらゆる物事に対して曖昧に回答するのではなく、強く言い切っていくスタイルを追求していきます。

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