前回の記事では、物事を強く言い切る、断言することの重要性についてお話しさせていただきました。
言い切ることで、自分自身の成長にもつながるはずです。
しかしながら、このように、物事を言い切ろうとする姿勢は自分のためだけでなく相手のためにもなるはずです。
周りの人たちのことを思いやるのであれば、的確な判断ができること、もしくは少しでも確度の高い判断をしていこうという意識を持つことが大切なことだと感じています。
ベターとマストの違い
ビジネスでは結論を述べることがとても重視されています。
このような結論を下す際に必ず意識しなければならないのがベター(better)とマスト(must)の違いです。
ベター、すなわち「したほうがいい」という回答は極めて無難な回答です。
物事に対して白黒つけることは決して簡単なことではありません。
数学の定理を証明することが難しいように、それがマスト(しなければならない)であると言いきるのは難しいことなのです。
ですから、できることならそのような明言は避け、ベター(したほうがいい)という回答に留めたいわけです。
あなたの判断によって周りの人たちの負担が増える?
しかしながら、このような安直な発言を多用することに慣れるべきではありません。
私が行っている仕事は主に間接的な業務ですが、そういった業務では実際に行動するのは直接部門の人たちに任せて、自分たちはただ意見を述べるだけということもよくあります。
このような立場にいるからこそ、自身の発言には責任を持つようにしています。
それは、私の発言や判断によって周りの人たちの負担を増やす可能性があるからです。
先ほど述べたように、ある事柄が必要かどうかの判断を強いられた際、できることなら安全策をとってベター(したほうがいい)という回答をしたいわけです。
それが一番無難な回答です。
「したほうがいい」と言われた以上、周りはそれに従わざるを得ません。
今後、その作業に従事することになるでしょう。
ですが、的確な判断を行える人がいれば、もしかしたらその作業の必要性はないということを証明できるかもしれません。
その場合、その作業を行う必要もなくなるわけです。
要するに、的確な判断ができないが故に、本来行わなくてもよかったはずの作業を行わなければならなくなるということが起きてしまうのです。
物事を判断できずに仕事を増やす人たち
ですから、周りの人たちのことを思いやるのであれば、的確な判断ができること、もしくは少しでも確度の高い判断をしていこうという意識を持つことが大切なことだと感じています。
そのような意識を持たず安直にベターを使いたがる人というのは、言ってしまえば「よくわからないからとりあえずやっておいてよ」と言っているようなものです。
自分が動く立場ならまだしも、自分はあくまで判断するだけで実際に行動するのは部下または他の部署の人間という状況でそのような意識しか持てない人を私は社会人としてとてもレベルが低いと感じます。
物事を判断できずに仕事を増やす人たちの存在が会社における悩みの種であり、その際たる例が上司でしょう。
確かな判断や決断ができることが上司に求められる何よりの資質であることを私は信じて疑いません。
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