忙しそうに働くことの問題点

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コロナ禍の影響で最近ではテレワークもすっかり普及しました。

また、テレワークの普及に伴って、仕事における成果管理の重要性も広く認識されるようになってきています。

とは言え、日本の会社が成果主義に移行するのはまだまだ当分先のことだと感じます。

日本のサラリーマンに求められているのは成果などではなく誠意や忠誠心である、そう私は感じています。


日本の会社には精神論が根強く残っています。

そんな日本の会社で働く上では、淡々と時間通りにきっちり仕事をこなすよりも、むしろ一生懸命さが伝わるように目いっぱい時間を使って働くほうが周りからの共感が得られやすいようにも思えてしまいます。

忙しそうに働くことは、日本の会社の中でうまくやっていく上ではとても大切なことなのです。


ですが、このように「忙しそうに働くこと」は、周りに対して必ずしも良い影響をもたらすだけではありません。

場合によっては、周りに対して悪い印象を与えかねないのです。

忙しそうに働くことの問題点

実際に忙しいかどうかの議論はここでは置いておくとして、いつも忙しそうに働いている人に対して周りはむしろネガティブな印象を持ってしまうかもしれません。

このように、いつも忙しそうに働いている人が周りにもたらす問題点としては、大きく分けて以下の2つではないでしょうか。


  • 周りに息苦しさを与える
  • 自分の能力の低さを露呈する


周りに息苦しさを与える

忙しそうに働いている人は、どこか近寄り難い印象を周りに与えてしまいます

周りの人間を近づかせないオーラをまとっているようにも映ってしまいかねません。

そのような人に対して、積極的に話しかけたいとは誰も思わないでしょう。

場合によっては、息苦しささえ感じてしまうかもしれません。


職場で働いているのは自分一人だけではないのですから、周りの気分を害することのないような心遣いも大切です。

それには、少々暇そうにしているくらいが相手の取り留めのない話や頼みを聞く余裕も生まれて、案外丁度良かったりするものです。

自分の能力の低さを露呈する

日本の会社では、社員は成果ではなく働き方やその様子で評価されるところがあります。

このような現状を考えると、頑張っている姿勢を見せるために忙しそうな素振りを見せることは非常に有効な手段のように思えるかもしれません。


しかしながら、個人の振る舞いを評価の軸にすることが大きな間違いであることは、合理的な判断に基づけば一目瞭然です。

公正な評価を行いたいのであれば、働き方基準ではなくあくまで仕事基準で個人を評価すべきです。

全く同じような仕事をしている二人の人物に対して、その振る舞いだけを見て両者に異なる評価を下してしまうことなどあってはなりません


忙しいとは、要は仕事量が自分のキャパを超えているという状態です。

ですが、見る人が見ればその仕事がどの程度の負荷を伴う作業なのかぐらいはおおよそ見当がつくものです。

このような人たちの前で決して負荷が重くない業務に対して執拗に忙しそうな素振りを見せることは、自分の能力の低さを露呈することにもつながりかねないのです。

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