仕事上の「応援」という言葉が嫌いな理由

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職場で他の人たち、または他の部署の仕事の手伝いをするときに「応援」という言葉を使うことがあります。

実は私、この仕事で使われる「応援」という言葉が嫌いです。


その理由についてお話しさせていただきます。

結局、お金をもらって働いていることに変わりはない

たとえば、労働時間外の賃金が発生しない状況下で仕事を手伝うのであれば、それはまぎれもない「応援」です。

最近はコンプライアンスも厳しくなってきて取り止めになってしまいましたが、かつては休日に会社の行事が行われることもありました。

このような行事において、行事が終わった後の後片付けを任意参加で呼びかけるのですが、たいていの人はそそくさと帰ってしまいます。

出勤日扱いではないため、みんなさっさと帰りたいわけです。

そのような状況下でも自発的に残って片付けを手伝ってくれる人たちもいて、そのような人たちが「応援するよ」と言うのであればそれは大いに納得するところです。


しかしながら、勤務時間中に誰かの仕事を手伝うというのは、ただの仕事の分担に過ぎません。

手伝う側と手伝われる側、どちらも賃金をもらって働いていることに変わりありません。

そのようなときに、誰かを助けるという意味合いを持つ「応援」という言葉を使うのに違和感を覚えてしまうのです。

あくまで賃金分の仕事をしているに過ぎないと思うわけです。

責任感なく仕事ができる

そもそも、他人の仕事を手伝うという行為自体はそれほど大変なことではないと思っています。

むしろ、ある意味では気楽な作業だと思えてしまうときもあります。


自分の仕事の場合、自分がその仕事に対して責任を負う必要があります。

ですが、他人の仕事であれば責任を負うのはあくまでその人です。

たとえば、他人のミスでその人の仕事を手伝うことになった場合など、自分は特に責任を負うわけでも引け目も感じるわけでもなく、ただその人の仕事のフォローをするだけです。

また、応援業務は単調作業となることも多く、その人がもらっている賃金からすれば明らかにそれに見合わないような楽な仕事となる場合も多いです。


「応援」と聞くと、どうしても「手伝ってあげている」という印象を強く受けてしまいます。

しかしながら、実際に置かれている状況を考えると、むしろ「手伝わせてもらっている」と表現するほうが仕事の内容的にはしっくりくるときも多いのです。

仕事の割り振りに問題がある

そもそも、他人の仕事を手伝うという作業が発生するケースというのは、確かに他人のミスをカバーするというケースももちろんありますが、もともとの仕事の割り振りに問題があるケースも多いのです。


明らかに個人の業務量に偏りがあって、ある人はいつも仕事に追われているのに、別の人は暇を持て余している、そういった状況も決して少なくありません。

明らかに業務過多に陥っている状態の人々に対してそこまで多くの仕事を抱えているわけではない人たちが仕事を手伝う際に「応援」という言葉を使うことに、私は強い抵抗感を感じてしまいます。


私自身、上記のような状況で仕事を手伝ってもらうときもありますが、そのような際にはむしろ今までが理不尽に仕事が割り振られていてそれが是正されただけ、そのように感じてしまうのです。

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