「この仕事は君たちの部署の仕事だよね」
部署をまたぐプロジェクトや業務に携わっていると、たびたび聞くことになるこの類の発言。
最近、私はこの手の発言にストレスを感じるようになってきています。
今回はその理由についてお話しさせていただきます。
部署の責任を押し付けられることに対する不満
部署をまたぐプロジェクトにおいて各自の役割分担を決める際、会社の組織体系図などに定められている部署ごとの役割や責任区分に従って決めていくというやり方がわりと一般的かと思います。
特に、大企業になるほどそれぞれの部署の役割というのがきっちりと文書などでも明文化されているはずです。
そのように明文化された部署ごとの役割区分に従って仕事を振ること自体は決して間違ったことではないでしょう。
しかしながら、部署としての役割や責任論を突きつけられることに不満を感じることも少なくありません。
その理由は、それが個人の問題というよりも部署の問題であることのほうが多いからです。
個人の問題ではなく部署の問題
部署ごとの管轄や責任区分に従って役割分担を決めるのは理にはかなっているでしょう。
ですが、そうした部署ごとの責任区分と同じくらい考慮しなければならないのが、部署または担当者ごとの仕事の負荷です。
部署間、または担当者間の仕事量が均等になるように管理されているという前提があって初めて上記のような話が成り立つのです。
残念なことに、このような仕事量を管理する仕組みが存在しない職場も数多く存在します。
私の職場もそのひとつだと感じています。
仕事の量も中身も何も管理されていない、右から左に仕事が流れてくる。
それが私の今の部署に対する率直な感想です。
ろくに仕事も管理されておらず、部署として本来果たすべき役割を担える体制など確立されていないわけです。
そのような状況であるにもかかわらず、周りからは部署としての責任を問われるわけです。
自分自身の個人の問題というよりは、部署(組織)としての問題を個人に突きつけられているような感覚で、私はそのことに憤りを感じてしまうのです。
見下されるほうがまだいい
組織レベルの大きな枠組みの話をされても困る、個人レベルの内容に論点を置いてほしいというのが私の正直な思いです。
いっそのこと、組織レベルのもっともらしい話を聞かされるくらいなら、自分自身が見下されたほうがまだいいとすら思えてしまいます。
極端なことを言ってしまえば、
「お前は俺より価値が低い、だから(実力がないんだから)その仕事はお前がやれ」
そんなパワハラじみたことを言われたほうがまだマシだということです。
なぜなら、それは個人の問題だからです。
実力がないのは自分の責任であり、自分が悪いのです。
もちろん、実際にそんなことを言われれば強い憤りを感じることでしょう。
ですが、それと同時にもっと実力をつけていかなければならないと奮起するきっかけになるかもしれません。
むしろ、自分とは関係のない部分のところで文句を言われるほうがはるかにやる気もそがれるし、仕事への意欲も失われるばかりなのです。
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