意味のない忙しさほどつらいものはない

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できることなら、自分の口からは「忙しい」とは言いたくないものです。

忙しいという感覚はきわめて主観的なものだからです。

いつも忙しぶっているけれども、他人から見れば何がそんなに忙しいのかわからない、そんな人は職場にたくさんいます。

そもそも、仕事が忙しいそもそもの原因はその人自身の実力不足によるところもあるでしょう。

ですから、むやみやたらに忙しいという言葉を使ってしまうと、かえって自分自身の価値を下げてしまいもかねません。


加えて、仕事が忙しいことの厄介なところは、その忙しさが何の意味も持たない場合も往々にしてあるということです。

私も、この「意味のない」忙しさに頭を悩ませているうちの一人です。

意味のない忙しさほどつらいものはない

たとえば、今の仕事が忙しいまたはつらいものであったとしましょう。

それでも、その苦労が結果的には自分自身の成長につながるというものであるならば、その苦労は決して無意味なものではないはずです。

あくまでその苦労も将来の投資のためと言えるわけです。


残念ながら、私が現在行っている作業というのはそういった類のものではありません。

自分自身の実力を向上させるものではありません。

それゆえに、業務をこなせど、それで得られるものは特に何もありません。

ただの単純作業でしかないからです。

嫌いな上司のために働くことこそが最も意味がない

日本の会社は年功序列です。

給与の金額は成果ではなく年齢や勤続年数によって決められます。

ですから、いくら数多くのタスクや業務をこなしたとしても、それが給与に反映されることはほとんどないか、あるいはあったとしてもその程度はたかが知れています。

これも、仕事の忙しさの価値を下げている要因のひとつでしょう。


それと、もうひとつ。

会社という組織では上から下へと仕事が降りてくるわけですが、このような組織で働く限りはあなたがしている仕事はあなたひとりのものではないわけです。

上司が仕事を請け負って、その仕事をあなたが担当しているという状況であれば、その仕事の成果はあなただけでなくあなたの上司の手柄にもなる可能性もあります。

たとえ、上司があなたに仕事を丸投げしていたとしてもです。


これは、あなたと上司との関係性によってはとても耐えがたいことかもしれません。

仮にあなたが上司を嫌っていたとして、そんな嫌いな上司から仕事を丸投げされた仕事に苦労して取り組むことは、結果的にはその嫌いな上司を助けることになるかもしれないからです。

私は、この状況こそが最も「意味のない」忙しい状況なのだと考えています。

一生涯その会社に勤め続けるのであればそれでもいいかもしれないが…

それでも、一生涯その会社で働き続けるのであれば、その忙しさも報われるかもしれません。

日本企業で成果主義の職場は少ないはずですが、情意評価(社員の仕事に対する態度や意欲の評価)は頻繁に行われています。

(実際の忙しさはともかくとして)忙しそうに働くことは、この情意評価においては好印象につながりやすいでしょう。

出世レースなどでもプラスに働くかもしれません。


ただ、私はそのような将来は思い描いていません。

ですから、できることならば、自分自身の成長にもつながらない忙しさとは無縁でありたいわけですが、残念ながらその望みは叶いそうもありません。

若いころに努力を怠ったがために、今こうして価値のない単純作業に勤しむことしかできない状況に陥っています。

そして、これからもきっと同じ状況が続くのでしょう。

この負のループから抜け出すことは簡単にはできそうにありません。


若い皆さんには、どうか私のような人間にはならないでほしいと心から祈っています。

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