私は会社のチームワークというものに対して強い苦手意識を持っています。
かつて私が勤めていた会社ではこのようなチームワークを重視していました。
社員は仲間であり、皆で力を合わせながら成長していく。
お互いの弱みを補い合い、強みを高め合う。
ですが、そんなものはただの幻想に過ぎないと思えてしまいます。
この記事では、私が考える会社におけるチームワークの問題点についてお話しさせていただきます。
仕事をしない社員を生むから
私にはチームワークやチームプレーという言葉が都合のよい言い訳に聞こえてしまうときがあります。
「チームで考える」「チームで決断する」というスローガンのもとに、みんなで取り組むことそれ自体が目的だと思っているのではないかと感じる場面に遭遇することが多々あります。
また、このようなチームで取り組むという風土で育ってきたがために、自分自身では何も判断できず決断できない、そのような印象を持ってしまう人も周りに少なくありません。
皆で集まってその場にいるだけで仕事をした気分に浸っているんじゃないかと疑いたくなります。
漠然としたチームワークは、仕事をしない社員を生むだけだと思います。
そんな人たちとは仕事などしたくありません。
また、ときには自分自身が「仕事をしない社員」になることもあります。
たいして必要とされていないのにも関わらず、形だけチームに加えられて結局何も貢献できない、そんなこともよくあります。
それはそれでつらいものです。
同調圧力につながるから
チームワークは同調圧力と表裏一体だと感じています。
チームワークを掲げている会社に限って、社員同士のつながりを意識しすぎるあまり社員同士で本音をぶつけあうことができません。
相手に対して不満を持っていたとしても、それを表に出すことは憚られます。
逆に上司へのゴマすりや忖度は日常茶飯事です。
このような同調圧力が常態化してしまうと、社員の事なかれ主義が蔓延し、現状抱えている問題がいつまで経っても解決されないまま放置されるようになってしまいます。
ろくに仕事もしない社員が平然と居座り続け、一方では放置された問題に苦しみ続ける社員も出てくるのです。
業務効率を損ねるものだから
昨今は業務改善や業務効率化などといったワードがトレンドで、企業は社員に対して業務効率の向上を求めます。
しかしながら、この業務効率化とチームワークは非常に相性が悪いもののように思えてしまうのです。
一人や二人でできることを皆でやろうとする。
たいした議題でもないのにわざわざ大勢の人間を集めて会議をする。
そのような仕事のスタンスは大勢の仕事をしない人たちを生みます。
また、それだけでなく、価値を生み出す仕事をしている人たちの時間を無駄に奪いかねないものです。
本来、チームワークとは、各自がそれぞれの与えられた責任と役割を果たすことで全体としての最適化を図るものです。
しかしながら、現実にはチームワークという言葉に甘え、ただ責任を転換し合うだけの非効率極まりないチームがはびこっているというケースが目につきます。
曖昧な評価につながるものだから
人事評価の基準には様々な基準がありますが、そのひとつに情意評価というものがあります。
情意評価とは、協調性や積極性などといった必ずしも成果や能力として表れない個人の仕事に対する態度や意欲を評価するものです。
チームで取り組んだ。
チームを活性化させた。
チームワークを重視する会社というのはこのようなフレーズを好みます。
ですから、チームワークを掲げる会社は、社員の評価として成果よりもむしろそのプロセス、つまりこの情意評価に重きを置きがちです。
しかしながら、このような情意評価は曖昧で主観的にもなりやすい評価でもあります。
曖昧な基準に基づく評価は個人の仕事への意欲を著しく損なわせるものとなります。
ピラミッド型の組織と不釣り合いに思えるから
日本の会社の多くがトップダウンで物事が決まっていくピラミッド型の組織となっています。
ピラミッド型組織においては、上から下に命令や指示が伝わっていくのが基本となります。
しかしながら、部下に対して漠然とした要求を叩きつける一方、具体的な判断や指示はしないという上司は少なくありません。
あえてそうしない人もいるでしょうが、単に物事の判断や要件定義ができないという人たちも数多くいます。
そんなとき彼らはチームという言葉を盾にして自己を正当化をしようとすることがあります。
「それは俺が決めることじゃない」
「それはチームで決めろ」
そのことが絶対に間違っているとも思いませんが、同時にこうも思ってしまいます。
だったら管理職なんていらないよね、と。
多くの権限と報酬を手にするだけで、それに伴う責任を彼らは果たしていないと感じることは決して少なくありません。
周りの人間との相性に大きく左右されるから
職場における不満の中でも一二を争うのが社員同士の人間関係です。
一方で、チームワーク重視の社風とは、あくまでこの人間関係に真っ向から向き合おうとするものです。
仲間同士の信頼関係が築けている環境であれば、チームワークはチーム全体に良い効果をもたらすかもしれません。
しかしながら、信頼関係がまるで築けていない間柄においては、チームワークを強要されることは大きな苦痛となります。
ですから、チームワークを重視することは、社員の意欲やパフォーマンスがそのチームの出来に大きく左右されるという危険性をはらんでいます。
そして、自分がどのチームに所属するか、どのような人たちと働くのかを社員は自ら選択することができません。
それが会社におけるチームワークの大きな問題点だと言えます。
異なる価値観を持つ人同士を強引に結びつけようとするものだから
一緒に働くチームを形成する人数が一人や二人程度であれば、同じ価値観を共有することも可能でしょう。
しかしながら、チームを形成する人数が増えてくると、徐々に価値観を共有することが難しくなってきます。
チームワークは、異なる価値観を持つ人同士を強引に結びつけようとするものだとも言えます。
あの人はこう言っているけども、別の人はこう言っていて一体どちらに従えばいいのかがわからない。
そういった場面に出くわすたびにチームで仕事をしていくことの難しさを感じさせられます。
特につらいのは、このような多種多様な人々の感情面に配慮して折り合いをつけなければならないことです。
しかも、チームワークを重視する会社に限ってそのような意見や考えの対立を調整する機能や仕組みがなかったりするのも困りものです。
信頼関係を築くという意識を薄れさせるから
本来、チームワークというのはお互いの信頼関係があってこそのものだと思います。
ところが、このチームワークという言葉がひとり歩きしてしまうと、信頼関係を築くという意識をかえって薄れさせてしまうような気がしています。
信頼関係を全く築けていない相手に協力したいと思えるはずもありません。
ですから、我々にはそんな周りからの信頼を勝ち取る、信頼関係を築くために能力も求められています。
しかしながら、チームでの働き方を前提としている職場だと、自分がなんとかしなくてもいざとなったら周りに相談すればいい、周りが助けてくれる、そんな甘えが生じやすいのです。
このような意識は、相手の信頼を勝ち取ることへの意識を損なわせ、社員の成長の阻害要因になると感じています。
同僚のことが嫌いになるから
個人主義の会社であれば、同僚たちとうわべだけの付き合いをしていくことも可能でしょう。
ですが、チームワークや社員同士の協調を重視する社風の会社ではそうもいきません。
このような職場においては、同僚たちがあなたの成長や仕事の成果に大きく影響を及ぼすことになります。
同僚たちに助けられることもあるでしょうが、同僚のせいで被害を被ったり足を引っ張られることもあるでしょう。
そのようなことが続くといつしか同僚たちに対して不満を抱くようになり、さらには同僚のことを嫌う気持ちすら芽生えてしまうかもしれません。
そんなことになるくらいなら、いっそ最初から周りと距離を置ける環境のほうが精神衛生上良いのではないかと考えてしまうのです。
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