私が会社の同僚の言葉を信用しなくなった理由

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私は会社の同僚たちからの意見を真に受けることはありません。

猜疑心が強く、それがコミュニケーションの妨げにもなっています。

しかも、その傾向は最近一層高まってきました。


原因は、私の自席の前の席に座っている大先輩です。

私も相当な問題児ですが、その私から見ても一目置くほどの問題児です。

この大先輩に対する同僚たちの態度をみてわかりました。


会社勤めの常識人たちは、ダメだと思う人間に対しても面と向かってダメと言うことはありません

ですから、会社の人たちの言葉は信用できないと感じるのです。

レビューサイトの曖昧さ

世の中には様々なレビューがあふれかえっていて、そのレビューの結果をわかりやすく点数化したものも多く存在します。

こうしたレビューの評価の水準数(5段階評価、10段階評価など)はまちまちですが、基本的にこうしたレビューで低い領域の点数が使われることはほとんどありません。

たとえば、10点満点のレビューで5点以下の点数を見かけることは極めてまれなような気がします。


日本にはおもてなしの文化があるからか、はっきりとした物言いは避ける傾向があり、こうしたところにもそのような特色が表れているような気がします。

ダメなものをダメと言い切る人のほうが信用性が高い

でも、私としてははっきりとした物言いをする人のほうが、少なくともその人のレビューの信用性自体は高いと考えています。

たとえば、飲食店のレビューですべての店に対してそれなりの評価がついているレビューよりも、低評価と高評価が入り混じっているレビューのほうが高評価の価値は高いと感じます。


良いものは良い、悪いものは悪いと言い切る、あるいはメリットとデメリットをはっきりと示したレビューのほうが信頼性が高いと感じるのです。

私が会社の同僚の言葉を信用しなくなった理由

私は会社員で現在はとあるメーカーに勤めていますが、仕事においてモノや技術に対しては事実をありのままに伝えようとします。

どの部品が優れているかといった検討では、各部品のスペックや優位性を明らかにします。


でも、それは人間に対してはやってはいけないことです。

なぜなら、会社というのは共同体だからです。

ともに働く仲間を尊重し合い、配慮し助け合う、それが職場に求められる人間関係のあり方です。

相手に対して面と向かって否定的な話をするというのはその輪を乱す行為です。

輪を乱すような人間は組織にはいりません。


ですから、会社の人の意見というのは本心とはかけ離れたものであることがほとんどです。

そういった理由から、私は同僚の言葉を決して信用しません。

話半分に聞いておくべきものだと思っています。

私が会社の同僚の態度を許せなくなった理由

ですが、こうした相手に対して本音を言わない、深く干渉しないという文化は、ときに周りを見捨てることにもつながります。


世の中には関わらないほうが良い人間というのは存在します。

機嫌を損ねると何をしてくるのかわからない厄介な人間に対しては、面倒なことに巻き込まれないように適当におだてておいたほうが自分の身を守る上では安全でしょう。

私の自席の前に居座る大先輩は、まさしくそういった周りからの心遣いや忖度で生き残ってきた人間です。


でも、あなた方のそうした態度によって苦しんできたきた人もいるのです。

あなた方の忖度によって、その人は悠々自適の会社生活を送れています。

でも、その人が悠々自適の生活を送っていられる一方で、その人が居座ることによってつらい思いをしてきた人が確かにいるのです。


それだけはどうか心に留めておいてください。

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