皆さんはロジハラという言葉を聞いたことがありますか。
この言葉はロジカルとハラスメントを掛け合わせた言葉で、要はロジカルなハラスメントを意味します。
今やロジカル(論理的)であることや正論を言うことがハラスメント(嫌がらせ)になる時代なのです。
ロジハラとは?
ロジハラとはロジカル・ハラスメントのことで、要するにロジックや正論を多用することで相手に心理的な苦痛やプレッシャーを与える嫌がらせのことらしいです。
本当に恐ろしい言葉が登場したなと思います。
ハラスメント(嫌がらせ)は相手がそう感じたらハラスメントですから。
自分自身は論理を追求しているつもりでも、相手にとってはそれが不快であればロジハラになりうるのです。
コミュニケーションは情報と感情の共有作業
コミュニケーションにおいては情報の共有も大事ですが、それと同じくらい感情を共有しあうことも大事なわけです。
というか、むしろ世間でコミュニケーション能力(コミュ力)と言えば後者の意味合いの能力を指す場合が多いでしょう。
コミュ力が高い人とは、物事を論理的(ロジカル)に話せる人というよりは、感情的な楽しさを与えてくれる人のことを思い浮かべるはずです。
【参考記事】
ですから、論理的であることは相手の理解を促すのには大きく貢献するものの、相手の感情的な部分に対してはむしろ逆効果となってしまう可能性があるのです。
テキストコミュニケーションを多用するのはロジハラ?
私はことあるごとに文章によるコミュニケーション(テキストコミュニケーション)の重要性を説いていきました。
それは、テキストコミュニケーションのほうが、情報共有という観点からみれば合理的な手段であるからです。
しかしながら、このテキストコミュニケーションは感情論のやり取りには不向きです。
実際、私は仕事においてこのテキストコミュニケーションを多用しているのですが、先日メールを送った相手から以下のような文面のメールから届きました。
〇〇殿
提案があります。
本件に限らす、今後小生に確認することが出てくるかと思います。
同じフロアーにおり、事細かな内容をいちいちメールで確認するのは、いかがかと思います。
あまりにも、お役所的ではないでしょうか。
このように、テキストコミュニケーションを多用するのは感情面への配慮の足りない人という印象を持たれてしまう可能性があります。(私の場合は実際そうなのですが。)
テキストコミュニケーションを多用すること=ロジハラというわけではありませんが、テキストコミュニケーションを多用する人は合理的な考えの持ち主であることが多く、こうした人たちはロジハラを無意識に行ってしまう可能性も高いとは思います。
ロジカルであることは悪なのか?
ロジカルな思考の問題点は、論理的な正しさを過信するあまり、論理的ではあるかもしれないけれども感情面への配慮に欠ける態度を正当化してしまう可能性があることでしょう。
少なくとも会社員として生きていくのであれば、会社での円満な人間関係を構築することは会社員としての重要なスキルのひとつのはずです。
それにはロジカルであるだけではダメだということです。
ただ、それでも私としてはロジカルさを追求していきたいというスタンスです。
それは、論理には正解があり、論理を追求することは自分自身の確かな成長につながるはずだと思うからです。
円満な人間関係を構築するとは言っても、一体何をもって円満というのかの基準も明確でないし、自身の能力以外の要素(上司や同僚たちの価値観)に大きく左右されてしまうものです。
こうした外的要因に大きく左右される結果や指標を重視するのは人間の適正な評価につながらない(すなわち自身の成長にもつながらない)というのが私の考えです。
【参考記事】
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