新型コロナウイルスの感染拡大懸念を受けて、多くの企業がテレワーク(在宅勤務)の実施に向けて動いています。
私の勤務先も社員に対して極力テレワークを行うように要求しており、私も現在は可能な限り在宅での勤務を行っています。
社会情勢に従う形で半ば強制的に始まっているということもあり、このようなテレワークを行うための環境整備は十分とは言えません。
完璧にテレワークをこなしているとは言い難い状況です。
それでもこのテレワーク、私のようなコミュ障にとっては素晴らしい環境であると言えると思います。
では、なぜコミュ障にとってテレワークが素晴らしいものであると言えるか、その理由についてお話しいたします。
コミュニケーションは会社員の職務
私のようなコミュ障の人間にとってコミュニケーションというのは何かの目的を達成するための手段です。
仕事で生じた問題を解決するため、あるいは仕事上必要な情報を得るため、必要に応じてコミュニケーションをとりその目的を達成するのです。
しかしながら、多くの人たちにとってコミュニケーションはそれ自体が目的です。
コミュニケーションをとるのにそんな大義や目的など必要ありません。
なぜなら、会社というのは共同体であり、社員は仲間同士であるからです。
ですから、強いてコミュニケーションの目的を挙げるとすれば、コミュニケーションはこうした仲間である社員同士の和や絆を高めるもの、円満な人間関係を築くためのものであると言えます。
コミュニケーションはれっきとした我々会社員の職務のひとつであると言えたのです。
コミュニケーションの成果とは何か
しかしながら、テレワークではこれまでよりも厳格な成果主義が適用されることになります。
この成果という視点でみたとき、このコミュニケーションというものの成果とは一体何なのかという疑問が浮かび上がります。
たとえば、必要な情報を伝達するという観点からみれば、別にメールで伝えようが口頭で伝えようが成果としては変わりないわけです。
単に要件を伝えるだけであれば、それはコミュ障の私でもできました。
一方で、コミュニケーションのもうひとつの目的である相手と感情を共有し合う、相手の気持ちを汲み取るといった部分のところに関しては、テレワークはどのように働くでしょうか。
果たしてこのような能力に長けた人が、テレワークでその価値を正当に評価してもらえるでしょうか。
残念ながら、テレワークではこれまでの対面コミュニケーションで重視されてきた感情面への働きかけの部分の効果を正当に評価することは難しくなってくると思います。
その効果や成果といったものが形に残りにくいからです。
もちろん、成果が目に見えないからといってそれ自体が無駄なものというわけでは決してありません。
しかしながら、成果が可視化されない以上は適正な評価を行うことは難しいと言わざるを得ません。
それよりは、成果がはっきりと見える部分の評価に重きが置かれるはずです。
ですから、むしろこうした感情共有能力を欠いている人たちの評価が相対的に上がることになるかもしれないのです。
テレワークはコミュ力を評価しない
人との関り合いが少なくなるテレワークでは、仲間意識の強さや人間の感情に働きかけるような能力(一生懸命な素振りであったり、周りの人への気遣いといったもの)というのは重視されにくくなります。
テレワークであってもコミュニケーションは当然必要なものですが、そこに求められる能力や要素というのはこれまでのオフィス勤務の場合とは変わってくる可能性があります。
テレワークでは仕事の課題や成果に対して真剣に向き合える能力が重視される傾向が強くなるのです。
ですから、私のようにコミュ障で人と上手く関わることはできないけれども黙々とタスクをこなすことが苦にならないという人にとっては、テレワークは自分のパフォーマンスを大いに発揮できる働き方と言えるのです。
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