真のコミュ力とは論理性と感情論のどちらが求められても対応できる能力

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会社員に必要とされるコミュニケーション能力(コミュ力)ですが、このコミュニケーション能力には実に多種多様な意味合いがあります。

コミュニケーション能力とは物事を論理的に考え情報を的確に伝える能力であると言えます。

一方で、誰とでも気兼ねなく話せる共感力や積極性、気持ちの強さがあることも同様にコミュニケーション能力と言えます。


この手の話では、よく男性は論理、女性は感情でコミュニケーションをとるなどと言われたりもしますが、これは別に男女に関係なく相手にもよるし、また状況や場面によっても変わってきたりします。

ですから、真のコミュ力の高さとはこの論理と感情論のどちらが求められても対応できる能力のことだと私は考えています。

論理性にこだわった過去の過ち

以前にお話しさせていただきましたが、私は過去に人間関係で致命的な過ちを犯しています。

職場の人間関係で対立し、ついには部署から追放されたのです。

【参考記事】


この件での自分の過ちは整理できています。

この件での私の過ちは、もはや論理性など求められていなかった相手との関係性に論理性を重視した(というよりも論理性だけを求めた)ことです。


紆余曲折があったにせよ、この件に関しては途中からは完全にお互い感情的になっており、もはや単なる感情的な問題でしかなかったわけです。

にもかかわらず、私は相手を論理的に説得(論破)しようとしていたのです。

そうすることで自分の態度を正当化しようとしていたんですね。

これはいわゆるロジハラ的思考です。


でも、(もはやお互いに不信感が募ってしまった当時の状況では)私がやるべきことはひとつで、合理性だの正当性だのは抜きにして上司が求めている感情論(口答えしない)に従うこと、ただそれだけだったはずです。

論理性と感情論のどちらにも対応できる能力が真のコミュ力

感情論(上司に口答えしない)に応えることが求められていたにも関わらず、いつまでも理論武装で対抗しようとした。

そんなコミュ障ぶりを大いに発揮した私ですが、私ほどの人はめったにいないにせよ、この論理性と感情論、それぞれ人によって得意・不得意があるのが普通だと思います。

合理的な説明が求められている場面で精神論でものを言ってしまう、または逆に相手は感情論への同意を求めているのにもかかわらず論理(理屈)で返してしまう、そういった経験は誰にでもあるのではないでしょうか。


ですから、真のコミュ力の高さとはこの論理性と感情論のどちらが求められても対応できる能力のことだと私は考えています。

実際、現代のビジネスにおいて最も高く評価される高学歴×体育会系の人たちというのは、こうした論理性と気持ちの強さの両方を兼ね備えた人材であると言えます。

高学歴に見合った論理的な思考力を備えているのと同時に、決して合理的とは言えない会社の上下関係や無理難題、感情論にも応えられる融通の利きやすさや気持ちの強さを持ち合わせているからこそ、彼らはビジネスの現場において高く評価されるのです。

論理性も感情論も大事、それを忘れないようにする

コミュニケーションには論理性にも感情論にも応えられる能力が必要です。

どちらか一方の能力だけでは不十分だということです。

それは決して忘れてはいけません。


私は論理性にこだわりすぎて過去に大きな過ちを犯しました。

そして、今でも同じような過ちをたびたび繰り返してしまいます。


一見すると相反するようにも見える2つの能力を両立させるのは決して簡単なことではありません。

ですから、これらの能力を両立できる人を私は心から尊敬しています。

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