「綺麗な資料を作る必要はない」は本当か?

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私の会社には調べたことや抱えている問題点など、ありとあらゆることを紙に書き出して皆で共有しあう文化があります。

まだ私が会社に入って間もないころ、この作業にあたって当時の上司や先輩社員たちから次のようなことを言われたことをよく覚えています。

「綺麗に書く必要はない」


この発言は資料作成に対して向けられたものではありませんが、資料作成にも通ずる話だとは思います。


では、この発言の通り「綺麗な資料を作る必要はない」は本当なのでしょうか。

「綺麗な資料を作る必要はない」は本当か?

結論から言えば、私は資料は綺麗であるのに越したことはないと思っています。


資料の目的は書き手が持っている情報を読み手に伝えることです。

この目的において、資料が読み手にとって綺麗であることは重要な要素のひとつだと思います。

読み手に綺麗と感じさせることは、読み手の資料に対する意識の向け方や理解を高めることにつながると言えるからです。

綺麗な資料の定義とは?

ですが、綺麗な資料とは一口に言っても、その解釈にはいろいろとあります。

資料の読み手や使用する用途によっても資料に重視される要素は変わってくるはずで、求められる「綺麗さ」の定義も変わってくるはずです。


私自身の話になってしまい恐縮ですが、私の中での「綺麗さ」の定義とは論理的な整合性や構成力が高いことと言えます。

論理的に話が展開される資料は美しい

論理的な整合性や構成力が高い資料というのは、簡単に言ってしまえば読み手の疑問を解決できる資料です。

論理的に展開された資料は、読み手が感じる疑問を順に解決していくものとなっているはずです。


この一例が、以前に説明させていただいたピラミッドストラクチャーです。

ピラミッドストラクチャーは結論とその根拠を構造的に組み立てたもので、読み手は結論と根拠の論理的な整合性によって結論の妥当性を判断することができるのです。

【参考記事】


このピラミッドストラクチャーのように、論理的に話が展開された資料は美しい(綺麗な)資料だと言えるのです。

フレームワークを用意することも論理性を高める

こうした資料の論理性を高める上では、資料にフレームワーク(ひな形)を設けておくこともひとつの手です。

論理展開に必要とされる構成要素(たとえば「課題」「原因」「対策」「効果」などといった項目)をあらかじめ設けておくことで、1テーマに対して必ず論理展開が成り立つようにしておくという取り組みですね。


私は、こうした専用のひな形が用意されている資料を作るというのは、以前はいろいろと制約が多いような気がして苦手だったのですが、読み手にとってはどこに何が書いてあるかかが決まっているほうが読みやすいでしょうし、今は積極的にフレームワークに落とし込むようにしています。

また、こうした専用のフレームワークを使い続けるほうが、思考メソッドの改善にもつなげやすいだろうというのも理由のひとつとしてあります。


こうした資料作成の方法については以下の記事にもまとめていますので、よろしければ合わせてご覧ください。

【参考記事】

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