資料作成も会議もムダ?

この記事は約4分で読めます。

このブログを通じて、私は資料作成(ドキュメンテーション)に対しては肯定的な立場、一方で会議に対しては否定的な立場をとってきました。

しかしながら、この両者は同じ「仕事ごっこ」の典型だという主張も見受けられます。


この意見は、もはや資料作成ぐらいしかやっていないと言える私にとっては非常に痛いところをついてくるものです。

私自身も、心の奥ではそのようなことを感じなくもありません。


しかしながら、自分の仕事を正当化するためにも、この意見に対する反論を述べなければなりません。

そこで、この記事では資料作成には意義があるという主張をしてみたいと思います。

資料作成も会議もムダ?

資料にしても会議にしても、それ自体は直接の利益を生むものではありません。

作った資料をnoteで販売したり、あるいは会議の様子をYouTubeにアップして収益を得るというのであれば、確かにそのクオリティには大いにこだわるべきでしょう。


しかしながら、実際にはそんなことはまずなく、その資料を使う人またはその会議に出席する人というのは限られています。

ですので、それら資料や会議というのはそうした人たちにとって有益なものでさえあれば十分なわけです。


むしろ、相手の理解を高める効果が期待できない部分に必要以上に時間をかけることはムダ(非効率)な業務だとみなされてしまう可能性もあります。

会議で時間に見合った成果を生むことは極めて難しい

初めに会議に対する見解を述べます。


まず、そもそも会議と資料作成の大きな違いというのは、会議は多くの人を巻き込むということです。

会議は多くの人の時間を奪うものです。

たとえば、2時間の会議を行ったとして仮にその会議に出席した人数が10人であったとすれば、2時間×10人=20時間もの従業員の時間をその会議に費やしたということになります。

会議というのは実に膨大な時間が費やされる仕事と言えるのです。


ですから、効率を意識した場合、会議にはこの膨大な投入時間に見合ったクオリティが求められることになりますが、はっきり言ってそのようなクオリティの会議を行うことは非常に難しいと言わざるを得ません。

したがって、会議はその従業員の投入時間に見合ったクオリティになっていない、つまりムダに感じてしまう部分が生じてしまう確率が圧倒的に高いのです。


以上が私が会議に対して否定的な立場をとる理由です。

資料を作ることはムダなことなのか

続いて、資料作成に対する見解を述べます。


資料の種類にもよりますが、資料作成の主な目的は自分と相手との情報の共有を図ることです。

ですから、資料を作成して相手と情報を共有した場合と資料を用意せずに相手と情報を共有した場合における理解のしやすさの違いを示し、その効果が資料の作成時間に見合ってさえいれば、その資料作成は意義がある(ムダではない)と言えるはずです。


そして、おそらく資料作成ではそうした作成時間に見合った成果を上げることは可能なはずです。

上記の会議に比べれば、資料作成には作成者の時間が費やされているだけなので、会議ほど高い要求は求められません。


したがって、資料を作成することによって資料作成に費やした時間以上の効果を上げることは可能であり、そのため資料作成はムダなものとは言えない、これが私の意見です。

「綺麗」な資料を作ることはムダなことなのか

もちろん、私が作成している資料がその作成時間に見合ったものに仕上がっているかどうかはまた別の話ですし、私自身も正直そういった自信があるわけではありません。

ですから、こうして自分への戒め目的で記事にしているわけです。

「仕事ごっこ」と言われないようなムダのないレベルの資料を作る技術を身につけていかなければなりません。


では、この資料作成の時間をムダに感じさせない資料とは、一体どこまでのレベルのものを言うのでしょうか。

いわゆる「綺麗」な資料を作ることは本当に必要なのでしょうか。


私自身は、綺麗な資料を作ることには意義があると考えています。

この綺麗な資料を作ることに対する私の見解については、次回の記事で詳しく説明させていただきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました