会社勤めの会社員にとっての仕事というのは、端的に言ってしまえば会社の要求に応えることです。
もちろん、その上流には顧客や市場の要求(ニーズ)というものがあるのでしょうが、それらが個人またはチームの作業や業務レベルに落とし込まれて、各個人または各チームに割り当てられることになるのです。
我々会社員はこうした数々の要求に応えていく必要があります。
これは、ありとあらゆる仕事に通じる話だと思います。
ただ自分のやりたいことをやってればいいというわけではないし、自分のやれる範囲でやっていればいいというわけでもない。
やるべき範囲が決まっていて、その仕事をやり切れるように努力したり勉学に励んだりするのです。
要求に応えることが仕事の基本
本来、厳密な成果主義に従うとするならば、社員の評価は要求に対してどこまでそれを達成できたかという基準で判断されるべきです。
費やした時間や個人の頑張りの度合いなどではありません。
仕事をすると一言で言っても、単純に労力や時間をかけたすべての作業のことを言う場合もあれば、要求(成果)に結び付いた作業のことだけを言う場合もあります。
要求に対してどこまで達成できたのかを基準にするのであれば、この後者の仕事量を考えなければなりません。
そこで、以下のようなモデルを考えてみます。

上の図は、AさんとBさんの2人の仕事量を模擬した図です。
この図における線分の長さが2人のそれぞれの仕事に要した労力で、このうち縦軸の成分が要求に結び付いた有効な仕事量、横軸の成分が要求に結び付かなかった無効な仕事量とします。
上の図は2人の仕事の効率の違いを表しているということになります。
この図をみると、一定の有効な仕事量を達成するまでに必要とする労力はAさんのほうがBさんよりも少ない、つまりAさんのほうがBさんよりも効率よく仕事をこなしていることを表しています。
この図のように、我々は常に要求ベースでの仕事量や成果を意識していく必要があるはずです。
要求に応えられるように努力していかなければならない
我々会社員は、自身の専門的な知識や技術力、思考力などを磨いて、こうした要求に応えられるような人材にならなければなりません。
自分たちの現状の能力よりも高い水準の要求をされたからと言って、できませんとあきらめるわけにはいかないのです。
ありとあらゆる手段を講じて、その高い要求に応えられるように自己の能力を高めていく必要があります。
でも私は自分たちができる範囲の仕事しかしていない
しかしながら、そうしたことをせずとも、ただ自分たちが出来る範囲の仕事をしていればよいという立場の人たちもいます。
私(たち)もそのひとりです。
私の仕事の現状は、何をすべきかではなく自分たちが何ができるかで仕事が決まります。
自分たちの人員の能力と投入できる工数がこれだけあって、だからこれだけの仕事を引き受ける、このようなスタンスが認められるのです。
だから成長しない
そして、悲しいことにこれが成立してしまいます。
私が引き受けられなかった仕事は別の部署の人間に引き継がれ、そこで適切に行われます。
一方で、逆は成り立ちません。
仮に別の部署で人手が不足していたとして、私は手を貸すことはできません。
彼らに私の仕事ができても、私には彼らの仕事をすることはできないのです。
このような環境にいる限り成長は全く望めないと思います。
何も成長もせず、ただブログで愚痴を書いているだけの日々を過ごすだけなのです。
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