「嫌われる勇気」とは言うもののサラリーマンは嫌われるべきではないしやはり嫌われたくもないはず

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人から嫌われることを恐れてはいけない」といったような話を一度は耳にしたことがあるはずです。

でも本当にそうなのでしょうか?


嫌われる勇気」は日本でアドラー心理学を一躍有名にし、ベストセラーとなった本のタイトルです。

自己啓発本としては非常に有名で、YouTubeなどにも解説動画が多数上がっています。


ですが、この本著のタイトルにもなっている「嫌われる勇気」というものが、本当にすべての人にとって必要なものなのと、つい疑問に思ってしまうわけです。

私はやはりサラリーマンは嫌われるべきではないと思っています。

周りから嫌われないことこそがサラリーマンの仕事だと言っても過言ではないと思っているくらいです。

「自分の課題」と「他人の課題」

この本では「課題の分離」として、「自分の課題」と「他人の課題」を分離して考えることの重要性を主張しています。

「他人の課題」は自分ではコントロールしきれない、だからこそ「自分の課題」に注力すべきだというものです。


こうした課題の分離は人事評価においては特に重要です。

必ずしも高い能力を備えていることや優れた取り組みをすることが優れた成果に結びつくわけでもありません。

成果の出る出ないは、個人というよりもその他の外的要因によるところが大きいからです。

ですから、個人を評価する上ではこれらの結果に対して本人の問題かそうでない問題かを明確に分離して考えることが重要です。


実際にこの考えを評価プロセスに組み込んでいる一例もあります。

たとえば、野球において、投手は打者に打ち返された打球がヒットになるかどうかをコントロールしきれません。(ヒットになるかどうかは打球が飛んだコースや味方の守備力にも大きく左右されるからです。)

そのため、この被安打をアドラー心理学で言う「他人の課題」として扱い、投手の投球結果の評価には含めないという考え方も存在します。


このように、課題の分離という考え方に対しては私自身も大いに納得するところはあります。

ただ問題は、このような考えを活かせる場面がサラリーマンの会社生活ではそれほど多くはないということです。

嫌われることは「他人の課題」ではなく「自分の課題」

この課題の分離の考えに基づけば、他人に嫌われることは最終的には他人が自分を嫌うかどうかの「他人の課題」ということになります。


ですが、やっぱり人から好かれやすい人はいるし、反対に人から嫌われやすい人というのもいることは確かです。

これは普段の行動にもよりますし、同じ行動をとっても真っ先に怒りの矛先が向かいやすい人もいれば、どこか憎めない人というのもいます。


ですので、他人の感情を一概に他人の課題として扱うのもどうかと思うのです。

やっぱり私は嫌われることは「自分の課題」だと思います。


少なくとも、相手の感情を害さないような行動を意識することは「自分の課題」です。

それをして初めて、相手がそれに対してどう思うかを相手の課題だと割りきることができるのです。

サラリーマンは嫌われるべきではない

また、そもそもサラリーマンの課題とは結局のところ会社から好かれることだと思います。

我々サラリーマンは会社に雇ってもらって、会社から給料をもらっている立場の身です。

ですから、会社から好かれることがサラリーマンの仕事だと言っても過言ではないくらいです。


会社の制度上、会社から好かれる=上司や同僚から好かれるということになりますので、サラリーマンは上司や同僚から好かれる必要があるのです。

会社の上司や同僚から少しでも好かれるような人間になろうとすることやそうした態度を示すこと、それがサラリーマンにとって最も重要な「自分の課題」なのです。

サラリーマンは嫌われたくないはず

そして、サラリーマン、というか世の中のすべての人はやはり人から嫌われたくはないはずです。


仮に人から嫌われても気にせずにいられるとすれば、それはその人が相当図太い神経の持ち主か、もしくは別の尺度で自分が認められているという自信があるからだと思います。

つまり、誰かしらに認められているという思いがあるからこそ一部の人たちに嫌われても耐えられるというのが正しいのではないでしょうか。


人間が生きていく上で完全に承認欲求を捨てるなどというのは到底無理な話なのです。

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