自分の評価として何を拠り所にするべきか

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社会人になって感じるのは、自分の能力や価値というものを客観的に判断する指標がないということです。

たとえば、学校生活ではテストの点数という定量化された指標で自分の学力を知ることができました。

もちろん、テストの点数はその人の能力のほんの一部を表してるに過ぎません。


でも、一つの指標ではあったわけです。

別に給与には反映されなくても全然構わないので、純粋に今の自分の会社における立ち位置を知りたいと思うことがよくあります。

自分の仕事に対する客観的な評価が欲しい

自分の成長につなげるという意味で、自分の現在の客観的な立ち位置を知るということは非常に重要なプロセスだと思います。

客観的とは言っても、別に全国レベルで自分がどの位置にいるだとかそんな大それた話を求めているわけではありません。

会社内または部署内といった狭いコミュニティ内に限ったものでも全然構いません。

そうした狭いコミュニティに限定された評価であっても、その基準さえ明確になっていればいいのです。

あとはその基準に適応しようとするか、またはその基準に自分が従う気がないのであれば出ていけばいいだけの話ですから。



ただ、その基準が現状の人事評価のレベルでは不満があるということです。

会社は客観的な評価を与えてくれない

会社というのは個人の仕事に対して客観的な評価を与えてくれる場所ではないと感じています。

【参考記事】

例えば、自営業やフリーランスの人たちであれば、その人の仕事に対する評価が成果(収入)に直結するので、客観的な形で自分の評価を知ることができます。


でも、会社員は違っていて、個人の能力や評価が給与に直結するわけではありません。

個人間の能力や評価の差に対して、それが給与に表れる差というのはほんのわずかなものです。


会社の人事評価や給与制度は個人の能力に対して適切なフィードバックを与えるものにはなっていません。

同僚の評価はもっと信憑性がない

同僚の評価はもっと信用性に欠けるものです。

日本のコミュニケーションの基本は同調であり、相手に対して角が立つような否定的な発言をすることはほぼありません。

客観的とは程遠いものです。

たとえ内心では相手のことをよく思っていなくても、そのことを相手に面と向かって話す人は少ないので、相手は自分の本当の評価を見誤ってしまうこともあるのです。

自分の評価として何を拠り所にするべきか

会社や同僚が正当な評価を返してくれない現在の会社の評価制度では自己評価だけが個人の拠り所になり、良い意味でも悪い意味でも勘違いした人たちを生み出してしまう恐れがあります。


もちろん、たとえその人の周りからの評価が(本人が思っているよりも)低いものであったとしても、それで特に支障なく表向きは円満な人間関係が築けているのであれば、内心どう思われてようが問題ないのではといった考えもあります。

これは確かに一理あると思います。

でも、これは本人の能力というよりも周りの人の温情や情けに助けられているということになるかと思います。


純粋な個人の能力というよりは、周りの人たちの優しさや寛容さといった外的要因に大きく依存しているということになります。

当然、このような外的要因に依存している状態では、周りの変化などで状況が一変する可能性が高いので、現状の結果だけみて問題ないと捉えるべきではないのです。

会社は個人の能力によるところが少ない

結局、会社って個人の能力によるところが非常に少ないんです。

人のことを言える立場ではありませんが、本人が無能であっても周りのサポートがあればやっていけてしまう。


そう考えると、会社員って成長する必要性がそんなにないんだろうなと思ってしまいます。

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