最近でこそ、チャットやSNSなどでコミュニケーションをとることは当たり前のこととなりつつありますが、やはりコミュニケーションと聞いて最初に思い浮かべるのは相手と面と向かって話し合うこと(対面コミュニケーション)のはずです。
そして、私はこの対面でのコミュニケーションを大の苦手としています。
私がコミュ障であることがその理由であるのは言うまでもありません。
ですが、これだけ多様なコミュニケーションの手段が発達した現代において、対面コミュニケーションにこだわる必要が本当にあるのかと思ってしまうわけです。
会話が成り立たない
最近、社内のやり取りで会話が成り立たないという機会が増えてきました。
これは悪い兆候です。
以前の部署でもそうでした。
相手を苛立たせて感情的にさせてしまう、そんな状況にもかかわらず論理性を主張する。
その結果、人間関係で衝突し部署から追放されたという苦々しい過去があります。
【参考記事】
その反省を生かして、できるだけ感情的にならないよう最近は文章でのやり取りに努めています。
口頭でのコミュニケーションのような一時の感情に駆られての衝動的な発言もなくなるし、また文章に落とし込んで思考を整理することで会話が噛み合わない原因などもはっきりとするはずです。
でも文章でのやりとりはしない
ですが、実際にはこれが上手くいきません。
特に上の世代の人ほど文章によるやり取りは好みません。
文章にしてほしいという私の要望は聞き入れられません。
相手が言うからには、「コミュニケーション(会話)が大事だから」だそうです。
私はそう思いません。
それが成り立っていないから要望しているわけですから。
ただの詭弁です。
私はこう思っています。
口頭でのコミュニケーションを望む理由、それは相手にとって都合がいいものだからです。
会話を強要することは本当のコミュニケーションと言えるのか?
口頭でのコミュニケーションはログが残りません。
ログが残れば、発言に対して責任も生まれるし、その発言の真偽や正当性も後から明らかになります。
これは、裏を返せば、ログが残らない会話であれば発言の責任も低くなるし、発言の真偽や正当性もあいまいなまま終わらせることができるということです。
ですから、特に立場が違う者同士であれば、立場の上のほうが圧倒的に有利に話を進められるはずです。
やり取りの論理性や正当性などが後から見直されることはないからです。
口頭でのやりとりは自分の主張を一方的に押し付けるのに都合の良い手段です。
ですから、私は会話を強要することは本当のコミュニケーションだとは思いません。
本気で相手と向き合う気はないからこそ、適当に水に流せる会話という手段をとるのだと考えています。
ときには明文化して自分の発言に責任を持つことが相手に対する誠意を示すことになるというのが私の考えです。
【参考記事】
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