論理的であっても客観的でない事例

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客観的という言葉はこのブログのテーマでもありますが、客観的という言葉は論理的という言葉とセットで使われることが多いです。

確かに、論理的とは主観に頼らず論理(ロジック)で物事を考えるという意味ですから、主観的の対義語である客観的に近い意味をもつように思えます。

ただし、気を付けたいのが、論理的であることが客観的であることにつながるとは限らないということです。


それについて詳しくお話ししていきます。

論理的であっても客観的ではない事例

数学の定理を証明するのであれば論理こそが全てであると言えます。

でも、仕事というのは大抵の場合答えが一意に決まっているわけではありません

このような答えが決まっていない問題では、論理を積み上げるだけでは客観性が得られないということが起こりえます。


例として、仕事においてある案件の採択を判断する場面があったとします。

このような場合、その案件に対してポジティブなデータもあればネガティブなデータもあるというのが普通です。

ここで、この案件を通したい人(賛成派)がいたとします。その人は、この案件のポジティブなデータを軸にこの案件を賛成するべき論理を構築するはずです。

一方で、この案件を通したくない人(反対派)は、この案件のネガティブなデータを軸にこの案件に反対するべき論理を構築しようとします。


こうして両者が議論した場合、どちらの主張も論理としては成り立っているけども、結局は自身の主張に都合の良いデータを並べているだけで全然客観的でない、むしろ主観的な議論になっているということが往々にしてあります。

しかも、このようなケースでは自分の論理の正当性を過信するあまり、お互いが引こうとせずに話が膠着状態に陥ってしまうということも起きやすく、非常にたちが悪いと言えます。

論理も使い方を間違えれば客観的とは程遠いものとなってしまうのです。

客観的な視点で論理を構築してみる

論理を構築するだけでは客観性は得られません。

必ず客観的な視点で論理を構築することが必要となります。


上記のようなケースの場合、同じ論理的に考えるにしても論理構成としてはひとつ上の階層で考えるべきです。

たとえば、ある案件に対するポジティブなデータとネガティブなデータの重みづけを行ってポジティブなデータが〇割、ネガティブなデータが〇割を占めるということを示した上で、だから賛成 or 判定するといった主張ができれば客観性を伴った論理展開となるはずです。


この”重みづけ”をどれだけ高い精度でできるかどうかが客観的な思考力や技術の高さになるのです。

論理を過信してはいけない

正直、会社に長くいるとこういう自分に都合のいい論理を構築することにだけやたら長けた人が出来上がるんだろうなと思う時があります。

論理を成り立たせるだけなら、主張(結論)を決めてその主張に都合の良いデータで肉付けをして主張するだけで済みます。


論理を組み立てることはそれほど難しいことではありません。

難しいのは、多くの人が納得できるような論理を構築することなのです。

そして、それはどれだけ客観性の高い論理やデータを得られるかにかかっています。


論理を過信することなく、本当に意義のある論理的思考力を身につけなくてはなりません。

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