給料が安くても楽な仕事がしたいという願いが叶わない理由

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今や仕事が人生のすべてという時代ではありません。

国を挙げて働き方改革が推進されており、また最近は「ワークライフバランス」や「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」などの言葉が注目されるようになるなど、人々の働き方への意識は大きく変わろうとしています。

ワークライフバランスは「仕事と生活の調和」、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)は「ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質」を意味する言葉であり、これまでの仕事中心の考えから脱却し、生活や人生の満足度や質を重視する考えが広まりつつあります。


かくいう私も、高い給料をもらってバリバリ仕事をするというよりは、給料は多少低くてもいいから気楽に仕事をしたいという思いのほうが強いです。


しかしながら、そうした願いはなかなか叶いません。

それは、そもそもの前提として給料が安い仕事=楽な仕事というわけでは決してないからです。

給料が安くても楽な仕事がしたいという希望が叶わない理由

給料が安くてもいいから楽な仕事がしたいという願いを叶えることは決して簡単なことではありません。

「楽な仕事」というと身体的負担が少ない仕事、または拘束時間が短い仕事のことを指す場合が多いと思いますが、仕事における負担の大きさと給与水準は必ずしも比例するわけではないからです。


むしろ、こういった意味で「楽な仕事」を捉えるとするならば、仕事が楽になるほど給料はかえって高くなると言ってもあながち間違いではないかもしれません。

その理由についてご説明します。

給与水準は過去の実績で決まる

現代の世の中は契約社会です。

たとえば、海の向こうではスポーツ選手などが総額何百億円などという長期契約を結ぶ例もあるように、未来の報酬や給料が過去の実績によって決まるということは世の中ではわりと一般的です。


こうした契約の話は、別に勝負の世界や海の向こうの話に限りません。

ケタこそ違うものの、日本のサラリーマンもある種同じような契約を結んでいます。

いわば、我々サラリーマンは定年までの長期契約を勝ち取っている立場と言えるのです。


日本の終身雇用は崩壊しつつあるなどと言われたりもしますが、実際にはそんなことは全くありません。

現状では、日本の会社の従業員(正社員)は圧倒的に守られた立場です。

従業員が会社を辞めることは簡単にできても、会社が従業員を辞めさせることは極めて難しいのです。


サラリーマンは、過去の実績や経歴から現在の契約を勝ち取っています

もちろん出世や昇進などによって多少の差がついたりはするものの、そんなものは出来高の範疇にしかありません。

サラリーマンの現在の給料は今の仕事に対する報酬として支払われているわけでは決してないのです。

給与水準は年齢が上がるほど高くなる

しかも、この日本の会社におけるサラリーマンの長期契約制度というのは、年齢が上がるごとに給料が増加していくオプションが付いた契約です。

ですから、日本の会社では年齢と給与の高さには相関関係があります(年功序列)。


しかしながら、仕事の楽さはというと、これはどちらかというと年齢が上がるほど楽になっていくとも言えます。

確かに、責任の重さという意味では年を重ねるごとに負担は増していきます。

ですが、一方でたかだかひとりのサラリーマンにそこまでの責任が伴うかと言われると、必ずしもそうでもないような気もします。

実際、責任感などを一切感じさせない上の人たちは大勢いますからね。

むしろ、やり慣れた仕事ができる、周りから気を遣ってもらえる立場になるという意味では、若い頃よりも身体的負担は減っていると言えます。


ですから、サラリーマンの場合は仕事が楽になれば給料が下がるというものでもなく、むしろ仕事が楽になるのに給料は上がっていくという逆転現象が起こるのです。

給与水準は労働環境が整備されているところほど高い

仕事のつらさは当然労働環境によっても大きく変わってきます。

世の中にはいまだにサービス残業やパワハラが横行している会社がごまんとあると聞きます。

そして、皮肉にもこうした労働環境が整備されていない会社ほど給料も低く、逆に労働環境が整備されている会社ほど給料も高い傾向にあるのです。


このように、仕事を頑張ったからと言って給料が上がるとは限らないし、逆に給料が下がったからと言って仕事が楽になるとも限らないわけです。

会社に雇用される立場(従業員)でいる限り、「給料が安くても楽な仕事がしたい」という願いは叶いません。

それを叶える方法があるとすれば、会社の従業員という枠組みから離れて考える必要があるのです。

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