企業活動を語る上で欠かすことのできないのがチームワークです。
チームで助け合い刺激しあうことでより高い次元の仕事を成し遂げることができる、そのような考えは一理あるでしょう。
ですが、そんなチームプレーやチームワークもやり方次第ではマイナスの方向にも作用します。
会社におけるチームプレーにおいて、私が問題だと感じるのがこのようなチームプレーは個人の主体性を失わせやすいということです。
会社におけるチームプレーの問題点
私の勤務先はチームワークを非常に大切にしていて、課題に対して皆で協力しながら取り組んでいくという風土があります。
この企業風土自体は私自身はすごく良いものだと感じていますし、私のようなコミュ障が会社で生きながらえているのもそういった周りの優しさに支えられているところがあると思います。
ですが、このようなチームで取り組んでいくという意識が悪い方向に作用しているように感じる部分もあります。
そのひとつが個人の主体性が失われることです。
ファシリテーション
それをもっとも強く感じる場面が、会議などにおけるファシリテーションです。
ファシリテーションとは以下のようなものを指す言葉で、組織活動の活性化や促進を図るリーダーとしてのスキルのひとつです。
ファシリテーション(英: facilitation)は、会議等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるリーダーの持つ能力のひとつ。
引用元ーWikipedia
このような会議の進行やファシリテーションを見せてもらうことは、その人のリーダーシップを見極める絶好の機会と言えます。
しかしながら、実際に会議に参加していると会議の主催者に対してこういったファシリテーションに対する意識が低いと感じることが多いのです。
このような人たちは、会議において積極的に指揮を執ろうとはしません。
チームで考える、チームで決断するというスローガンのもとに、みんなで意見を出しあえればそれでよい、何かを決めるのは二の次、そのような会議を設定したり進行したりします。
どうもみんなで取り組むことが目的だと思っている節があるように感じます。
皆で行うことがチームワークなのか?
ですが、そんなことはもちろんないわけです。
会議のテーマにもよりますが、何の事前準備もなくその場の思いつきで発された十人の意見よりも、入念な準備や確固たる証拠(エビデンス)を基に展開される一人の意見のほうが有意義なものである場合は多いはずです。
中途半端な気持ちの人たちが集まって何かをするよりは、ひとりの人間が真剣に取り組むほうが生産性は絶対に高い、私はそのように思っています。
チームプレーは絶対ではなく、より良い結果を得るための手段のはずです。
皆で行えばそれで良いというものでは決してないはずです。
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