個人主義的な働き方ほど個人の実力が反映されにくい気がする【ナレッジマネジメント】

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日本の企業は集団主義的だとよく言われます。

私の勤務先の会社もチームワークを非常に大切にしていて、課題に対して皆で協力しながら取り組んでいくという風土があります。


ですが、同じ職場であっても部署によっては個人主義的な働き方が求められるケースもあります。

私の部署がそうで、人員の数が少ないことに加えて業務内容としても比較的定型業務が多いことから、個人主義とまではいかないにせよ個人で仕事に取り組む機会は多いです。


私がこのように個人で仕事に取り組んでいて感じるのが、個人で働くことは実はそれほど個人の実力が反映されないのではないかということです。

個人主義というといかにも個人の力量にすべてがかかっているというイメージがありますが、私はそれは少し違うと思うのです。

経験知は個人の能力か?

まず、個人主義的な働き方が要求される職場において、特に若いうちは経験の差がもろに出ます。

右も左もわからない新入社員が何のサポートもなくひとりで仕事を任されたとして即成果を残せるかといえば、おそらく難しいことでしょう。

仕事の内容云々の前に、会社の基本的な仕組みすら理解していないかもしれません。


このように、程度の差こそあれ経験の差が仕事のパフォーマンスに影響を与えるのは間違いありません。

ですが、ここで思うのです。

果たしてこの経験というのは本当に個人の実力なのか?と。

経験はマネジメントで補える

もちろん、経験の多さは個人のスキルを形成する要素のひとつであることに疑いの余地はありません。

ですが、そうした経験知の中にも、長い年月をかけることでしか身に付かないものもあれば、比較的短期間で習得できるものもあるはずです。

その中でも、特に後者で挙げたような短期間での習得が可能な経験知というのは、マネジメントのやり方次第ではそれを広く伝えることが十分に可能なものだと思っています。


いわゆるナレッジマネジメントがそれにあたります。

ナレッジマネジメントは、各自が所有する知見(ナレッジ)を社内全体で共有化して作業の効率化や全体の底上げを図っていくことを目的とした取り組みのことです。

つまり、経験知を個人のものではなく会社の共有財産とするという考えで、私は個人主義的な働き方が求められる職場ではこのような考え方はとても大切なものだと考えています。

チームで取り組むことが難しい状況のときこそ、このように個人の経験知をしっかりと会社に帰属させて皆で共有できるようにするべきだと思うのです。


たとえ実際に行動や判断をするのは自分ひとりであったとしても、その判断の根底には他の人たちが積み上げてきた経験知が存在する、そのような状況が個人で行動する機会が多い職場における理想なのではないかと考えています。

個人主義的な働き方ほど個人の実力が反映されにくい気がする

私がこのようなことを思うのも、私が今こうして個人で仕事に取り組んでいて、ある種の不満を感じているからかもしれません。

私は今別の部署に異動した前任者が担当していた業務の引継ぎを行っています。

決して別に難しい業務ではなく、1~2回担当すれば難なくこなせるレベルの業務内容です。

とは言え、私としては初めて行う業務ですから、勝手がわからず手間取ってしまったりもすることも当然あるわけです。


ただ、そのときに私の仕事ぶりを前任者と比べられるようなことがあって、それに対して私は腹を立ててしまうことがあります。

何か問題があったときに、「〇〇さん(前任者)に聞いたほうががいいのでは」だとか「やっぱり〇〇さん(前任者)がやってくれていたから上手くいっていたんだ」などと言われてしまうと、とても不愉快な気持ちになります。

このような経験の差という自分ではどうしようもない部分で優劣をつけられることに納得がいかない気持ちがあるのです。

そして何より、そういった経験の差を少しでもカバーできるような組織運営をしないことに不満を感じてしまうのです。


これは私の独りよがりの考えなのかもしれません。

ですが、このような経験の多さが絶対的にものを言う体制を作ってしまうと、新しいことへの挑戦意欲が失われていくような気がしてしまいます。

自分のできることだけをやり続ける、それ以外はやらない。

そういった風潮を招いてしまうように思えますし、事実そういった傾向にあるような気がします。


「未知の問題に立ち向かう力」という最も個人に深く結びついているはずの能力がいつまでも磨かれないのです。

結果として、このような環境では経験こそが全てで、実は個人の本当の実力はそれほど反映されていないと言えるのです。


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