このブログでも何度か取り上げていますように、仕事や作業の効率に対する私の意識はとても高いほうだと思います。
実際に効率良く仕事ができているというかどうかはともかくとして、少なくてもそうした意識を強く持って仕事に取り組んではいます。
議題のない会議や具体性に乏しい意見などは、話をクローズさせようとする意識に欠けているように感じられ、あまり快く思っていません。
最近は、これまでにも増してそうした業務効率に対する執着心が強く、業務効率の意識に欠ける態度や行動を見せる人たちに対しても、不満を露わにしてしまっていたりします。
今回は、私がこのように仕事の効率に対して異常に固執するようになった理由についてお話しさせていただこうと思います。
底が浅い仕事だと思っている
包み隠さず言うならば、私が仕事の効率に異常に執着するようになった最大の理由は、自身の仕事を底が浅い仕事だと考えているからです。
つまり、定型的で難易度が低く、高度な知識や判断も不要な仕事であり、このような仕事をしていて真っ当な評価を得るには量をこなすしかない、そう考えているからです。
ですから、仕事の効率を高めて量をこなすことだけに意識を置いて仕事を進めているのです。
これはやや過激な発言に聞こえるかもしれません。
ですが、部署間、あるいは各担当者間の仕事を入れ替えるなどして統計的に仕事の分析を行っていけば、そのことがきっと明らかになるはずです。
実際、複数部署を経験している私はその被験者のひとりと言えます。
底が浅い仕事であることを証明したかった
そういった底の浅い仕事をしていながら態度だけはやたら大きい同僚に対する反抗心というのもあります。
このような言い草には不快感を覚える方もいるでしょうが、こういうことを言っても差し支えないような人が実際にいるのです。
自分の仕事は自画自賛し他人の仕事に対しては批判ばかりする、まさに「自分に甘く他人に厳しい」を地で行くような人です。
自部門にそういった人がいると、自分たちも同類として周りから低く見積もられてしまう恐れがあります。
だから嫌なのです。
ただ、だからといって、そういった自己評価の高い人たちに対して反論を試みると、以下のようなことを言われてしまったりするわけです。
「何もやんねえくせに偉そうなこと言うんじゃねえよ!!」
「てめえがやってみろよ!!」
ですから、言われた通り自分でやるしかないわけです。
それをやるかやらないかは、ほとんどが単に時間の都合の問題だけです。
今の私は抱えている業務量だけは多い方だと思います。
上記のような理由で、可能な限り仕事は自分の手でこなすようにしているからです。
時間の都合で仕事を他の人に回すとその仕事を「できもしない仕事」であるかのように言われてしまう可能性があり、それが嫌なため片っ端から仕事に手は付けるようにしています。
ですから、数多くの仕事をこなしていく必要があり、そのために極力仕事のムダは省きたいと考えているのです。
すべては業務効率化という会社の取組みが元凶
もちろん、このように自分たちの仕事を卑下するようなことなど本来は断じて行うべきではありません。
特に自部門の仕事やそのやり方を否定することは、自分だけでなく周りの同僚たちを批判することにもつながります。
絶対にやめるべきです。
ですが、私をそうした方向に向かわせたのが、このブログで何度も取り上げている会社が推進している業務効率化という取組みなのです。
会社は、業務を効率化しろという課題を与えてくるわけです。
しかしながら、ロジハラ気質な私から言わせれば会社の仕事は非効率、非合理の塊なのです。
特に、このような業務効率化を推進する立場の人たちほど業務効率に関しては無頓着です。
ですから、それに対して真面目に向き合ってしまうと、そうした非合理な仕事をしている人たちに対する不満が爆発してしまうのです。
自分は合理的に仕事をしている、むしろそう言っているあなた方のほうはどうなんだ、そういった感情が周りに対する批判的な態度や言動として表れてしまい、それがきっかけとなって私は皆から嫌われるようになりました。
私の居場所は職場にはもう存在しないのです。
業務効率化の取組みは私にとってパンドラの箱でした。
決して空けてはいけない箱だったのです。
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