皆さんが自分自身の評価として拠り所にしているものは一体何でしょうか。
できることなら、一緒に働く同僚たちから感謝され、高く評価されるような人間でありたいです。
ですが同時に、そのような同僚らからの評価がさほど意味をもたないことも理解しています。
客観性を重視する私の価値観に従えば、社会人の価値を示す指標としてもっとも客観性の高いものはやはりその人の収入なのだと思います。
あなたはいくら稼いでいるか、社会人としての価値のエビデンスとしてそれ以上に信用に値するものはないと思います。
社会人の市場価値
できることなら、一緒に働く同僚たちから感謝され、高く評価されるような人間でありたいものです。
しかしながら、相手を褒めるという行為にデメリットはほとんど伴わないため、多くの人たちは相手のことをあえて悪く言うようなことはほとんどしません。
ですから、個人の評価や言葉にはそれほど重みはないのです。
社会人たる以上、収入はその人の市場価値を判断する上で決して無視することのできない指標です。
もちろん、仕事だけが人生のすべてでは決してありません。
しかしながら、仕事に対する意気込みの強さも含めて考えるならば、ビジネスマンとしての能力を測る上で、その人の稼ぐ力をみること以上に客観性の高い評価指標はないと思います。
誠意は言葉ではなく金額
個人の評価は結局のところその人の稼ぐ力で決まる。
インパクトのある発言でそのことを主張した野球選手がかつていました。
2006年、当時中日ドラゴンズに在籍していた福留孝介選手は契約更改の場でそのような旨の発言をしました。
その年の福留選手は、キャリア最高の成績を残すなど攻守に渡ってチームを牽引し、中日ドラゴンズの優勝に大きく貢献しました。
個人としても首位打者のタイトルを獲得し、その年の最高のプレイヤーに送られる賞のMVPにも輝いたほどです。
その福留選手がその年の契約更改を前にして口にしたのが、この「誠意は言葉ではなく金額」という言葉です。
球団は福留選手に対して言葉では「最大限の評価」を口にしたものの、金額ではチームメイトの岩瀬仁紀投手に及ばない金額を提示し、これに福留選手は怒りを爆発させたのです。
この言動は当時は猛バッシングを受け、数ある野球選手の契約更改時の名言集(?)の中でもトップクラスの名言として、今もなお語り継がれています。
ただ、実はこの話にはある後日談があります。
時が経って2011年、忘れもしない東日本大震災があった年ですが、その震災を受けて当時メジャーリーグのシカゴ・カブスに所属していた福留選手は100万ドルもの大金を被災地に寄付していたのです。
しかも、福留本人はこのことを公表しておらず、マスコミが関係者が取材したことで偶然判明した事実でした。
これを受けて、福留選手の評価は一変しました。
福留選手は被災地に対し「言葉ではなく金額で誠意を示した」のであり、自身がかつて発言した通りの行動を自身で示してみせたのです。
それにより、かつての発言も決してお金目当てのものではなく、プロとしての信念を説いた格言と解釈されるようになったのです。
会社は若い社員を評価していない
自分の価値を示すため、自己肯定感を高めるためにも、収入にこだわることは必要なことだと思います。
問題なのは、サラリーマンはその手段が限られていることです。
我々サラリーマンは、会社から安定した雇用を保証されています。
そのような恩恵があるからこそ、サラリーマンの賃金は抑え気味になっているという部分は確かにあります。
ですが、それにしても現在の会社の賃金体系は個人の貢献度をあまりにも軽視してはいないでしょうか。
特に、若い社員は個人の貢献度や努力に収入が全くと言っていいほど追いついていません。
結局のところ、会社は本質的には若い社員を評価していないのです。
「君の代わりなどどうにでもなる。」
日本の会社の給与テーブルが示している事実はそうです。
そんな会社を見返したいという思いは常にあります。
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